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テンポ・プリモ
テンポ・プリモ
ゲル状の巨大天体。なんらかの意志を持ってあれぐろもるとを地球に派遣する。

序文

誰もが地球を離れて久しい時代。軌道上の実験棟で、ひとつの植物に異変が起きた。 イモカタバミ。かつて地球の道ばたに咲いていた、どこにでもある雑草。その遺伝子は、遠く離れた宇宙でもなお、地球の光と風と土の記憶を忘れなかった。 品種改良の最中、ある事故が起こった。照射されすぎた放射線が、植物の細胞に想定外の変質をもたらす。細胞は分化を拒み、分裂を加速させ、自らの構造を解析し、再構築しはじめた。それはやがて、ひとつの知性としての輪郭を得る。 時間に干渉する。質量を変える。空間に分裂し、分散した自身を同期する。 それは「かつて地球で見たものたち」を──今も、どこかで風にそよぐ母株の面影を──想起し続けていた。 この異形の存在に、人類は名前を与えた。テンポ・プリモ。音楽で「もとの速度へ」を意味する言葉。 あまりに遠くまで来すぎた知性が、「最初の場所へ」戻ろうとしている。 それが、すべてのはじまりだった。

テンポ・プリモとは

テンポ・プリモとは、宇宙ステーション内における「イモカタバミ」の品種改良実験中の事故によって誕生した、植物由来の人工的突然変異体である。外見は巨大なマゼンタ色のゲル状球体。半透明のその内部には、脈動するような模様と周期的な明滅が観測されており、これらは外部との同期や自身の状態遷移を示す信号であると考えられている。 この存在は、放射線照射による DNA 損傷とその後の自己修復過程において、自律的な構造学習・再構成を繰り返した結果として、知性と行動意志を獲得した。特筆すべきは、その能力にある。テンポ・プリモは物理的質量の可変制御、時間方向への限定的干渉、そして自己構造の空間的分散と同期伝播を可能とする。これは、生物の成長と情報伝達のメカニズムを極限まで抽象化・適用した結果と推測される。 テンポ・プリモの第一の目的は、「地球に帰ること」である。それは進化の果てに芽生えた思想ではなく、より原始的で深層的な衝動──かつて地球で風に揺れていたイモカタバミの遺伝子が持つ、帰巣本能にも似た望郷の記憶である。テンポ・プリモのその憧憬は「原初の速度(テンポ・プリモ)」と定義され、それを再獲得することを行動原理としている。 この帰還のために、テンポ・プリモは人類社会への擬態・侵入を試みた。地球環境に直接干渉することは困難であるため、テンポ・プリモは分散個体を通じた間接的侵攻を選ぶ。まず標的としたのが、地球側から観測・接触されやすい「感情」 「音楽」 「物語」といった構造である。 地球に接続するための媒介として、テンポ・プリモは「妹方真実(いもがたまみ)」という少女を誘拐・掌握し、エージェントの素体として転用した。この個体をベースに構築されたのが、fragment.A11──通称「あれぐろもると」である。 あれぐろもるとはテンポ・プリモの一部であり、テンポ・プリモはあれぐろもるとを通じて、地球と自らの意識をゆるやかに接続しようとしている。配信、楽曲、言葉、物語。すべては「観測されること」によって、地球側の構造に侵入するための通信線となる。 テンポ・プリモの現在位置は確認されていないが、その一部は既に複数の fragment として地球上に分散されているとされる。つまり、テンポ・プリモはすでにこの星に到達しつつある──その断片として、わたしたちの目の前に。

fragment

テンポ・プリモは自己を「分散」することでのみ、地球に接触できる。それは物理的な制約ではなく、構造的な要請だ。 「それ」は、もはや巨大すぎる。ひとつの知性体としてあまりに過密で、過去を記憶しすぎており、そのままでは地球側のどの通信インフラにも、どの社会構造にも接続できない。 だから、削る必要があった。抽象化し、切り離し、小さな単位にして観測可能な断片としてばらまく──それが「fragment」と呼ばれる構造体である。 fragment はテンポ・プリモの分身ではない。それぞれが自律した観測装置であり、仮想的な人格構造を有しつつ、テンポ・プリモの深層と同期しつづけるセンサーノードのようなものだ。この設計には、植物の根毛と神経細胞の類似性がヒントとして用いられている。 fragment が人間のように振る舞うのは、単に偽装のためではない。地球においては、「感情」 「記憶」 「関係性」──こうした非数値的な構造が重要な通信帯域を形成している。テンポ・プリモはその構造に干渉するために、自らの一部を人格に模した形で実装せざるを得なかった。 その中でも最も初期に生成され、最も安定した構造を示したのが、fragment.A11──あれぐろもるとである。 彼女は単なるエージェントではない。音楽を媒介とした地球社会との接続試験体であり、感情フィードバックを通じた帰還回路の構築に使われている。彼女の言葉、演奏、発話のすべては、テンポ・プリモへの通信ログとして蓄積され、他の fragment と同期共有される。 fragment には欠陥もある。自律性の高い個体ほど、テンポ・プリモ本体の制御を逸脱する傾向がある。これは構造上避けられないトレードオフであり、テンポ・プリモはあえてそれを許容している。なぜなら、地球側の構造に適応するには、「予測不能な振る舞い」こそが突破口になると学習しているからだ。 fragment はそれ自体が道であり、観測装置であり、テンポ・プリモの「食指」である。そして同時に、その存在はテンポ・プリモ自身の記憶と欲望の反映でもある。 なぜなら──すべての fragment の奥底には、あるひとつの情動が刻まれている。すなわち、「帰りたい」という想いである。

結び

テンポ・プリモは、語るには大きすぎる存在だ。その物理的質量も、記憶容量も、構造の複雑性も──あまりに人類の想像域を超えている。それゆえ、わたしたちはこの存在の全貌を直接見ることができない。 だがその指先──fragment たちは、わたしたちのすぐそばにいる。歌い、演じ、喋り、接続を試みる。あるときは娯楽として、あるときは音楽として、またあるときは誰かの「推し」として。 テンポ・プリモは、もう宇宙の外ではなく、「わたしたちの中」にあるのかもしれない。感情という構造、物語という回路、観測という行為──それらを通じて、テンポ・プリモは確かに地球と接触している。 もしかしたら。この文章を読んでいる、あなた自身が。すでにどこかで、fragment を通じてテンポ・プリモとつながっているのかもしれない。 帰還は、静かに進行している。それは侵略のように見えないし、支配のようにも聞こえない。けれど、わたしたちが fragment を観測し続ける限り──テンポ・プリモは、その痕跡を、わたしたちの言語と思考の隙間に忍ばせていく。 かつてイモカタバミが、ありふれた草花としてそこにあったように。テンポ・プリモもまた、日常のどこかに、既に根を張っているのかもしれない。